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みなさんこんばんは、三日坊主の鑑のようなブログの書きっぷりでした、私でございます、すてきです。
なんでもないです。

こちらでは、2月以来の更新となります。
その間、地震やその他について、色々と心配してくださった方、
暖かい言葉をかけてくださった方もいました。
そのせつは!ずっと何の音沙汰もなくて、ごめんなさい@@
そして、ありがとうございました。本当に嬉しく、支えにさせていただきました。

それから、みなさんも、それぞれ
ある意味、被災等の状況に関係なく、
テレビやネットなどで地震関連の情報を見ながら、
重い気持ちを抱えていたことと思います。

大変でしたね。
数えればたった2ヶ月半ですが、本当に長い時間でした。
ほんとに、
多くの人が、つかむ藁さえも見つけることができずに、やり場のない思いを抱えていました。
みなさんは、大丈夫でしたでしょうか?




くコ:彡、間違えた、以下、個人的な地震の体験や思ったことなど、書いていこうと思います。
当時を思い出してしまうのが嫌な方がいらっしゃいましたら、
どうぞ先を読まずに、お戻りになってください。
そんなことを言いつつ書いてしまってごめんなさい。
粉バナナ。
そして、なんだかとても長くなってしまいました。
自分のページと言えど、少しやりすぎた…すごいもううわあぁと、公開するのをためらっていましたが、
せっかくなので、このまま恥をかきますpq
お見苦しい文で申し訳ないです。
あんまり思ってないですけど 

あ… 


3月11日、私は行方(なめがた)市というところに出かけていました。
揺れ始めは、みんな「あ、地震」というリアクションくらいで、構わずに仕事を進めていたのに。
あの一番大きな地震、すごい長さでしたよね。
最初から主要動、という感じでした。ただ、まだ感覚と記憶に残っているのは、
はっきりと、段階に分かれて大きくなっていったことです。

あの時、私は他の人からちょっと離れた場所で、キャスターつきの大きな荷物?に囲まれていて、
第1段階のけっこう大きな揺れ(速めの縦揺れ)の時、
うわーこういうタイヤ付きの、地震だと揺れたりするのかな>< みたいな感じで、静観していました。
今思えば、なんてのんきだったんでしょうね!

だって、第2段階、S波きた!っていう感覚の時、(ここで初めて、今までより大きい?と誰もが感じ始めました。予想、5弱ほどでしょうか…)本当にやつらは動き始めたんです。横揺れも入りぐらぐらして、タイヤというよりは、積み重なった上の荷物が落ちてこないか心配でした。
ただ、もう1分くらいは揺れていて、ああ、大きな揺れだったな…早く終わらないかな、と、私はこれが収まるのを待っていました。

終わらないじゃないですか
ずっと横と斜めに揺れているのに、一瞬ぐわっと下の方から揺さぶられ、なんと次の段階が始まってしまって、
え?ええええ?ええええええええええ
って、東日本中の人は、そういう思いだったんじゃないでしょうか。

固まる周りの人と視線を交わしながら、
こんなのが本当に来るんだ、早く終わってよ、と思いながら、
周りの女性がちらほら悲鳴を上げ始め、
自分の上では照明がハイジのブランコのごとく揺れてるのに、
手は頭でなく荷物を押さえていないと落ちてきそうだし、とうとう荷物に逃げ道を塞がれてしまい、
(むしろ自分の場所に転がってくるのを押さえてる状況でしたが…^-^;)
これは…!!と必死になっていたら、
この横揺れに、さらに違う向きで強烈に突き上げられ、より強い…限界を超える揺れが、更に何十秒か続くのです。

もはや周りを見渡す余裕なんてなく、みんながどこにいるかもわからず、さすがに耐え切れずに声を上げてしまいました。
あの最後の一撃、本当に、あのサザエさんのエンディングのカーン状態。ジャンプしたもん。あの重い荷物たちが…
いつの間にか電気も消えていました。

収まった後、あまりの心細さに、真っ白な頭のまま荷物をなんとか掻き分けて、みんなのところに行きました。
その途端、自分が震えているのがわかりました。 犬とかよくやってますよね。ぶるぶる。
とりあえず外に行こう、という声を聞き、みんなで出て、
取り残した個人の荷物は、天井が落ちてしまったらしくヘルメットの男性が貴重品のみ救出、
安否確認などをしたりして、3時半ごろ、解散していただきました。


帰り道の怖さは、揺れとはまた違う怖さでした。
信号が消えたことにより発生した途方もない渋滞や、
なにより、道を進むごとに
塀や建物、道や橋の悲惨な光景を見せ付けられながら、
電話も通じない母が待つ家に向かうっていう不安は、すごかったです。
30分たっても周りの景色が変わらず、どんどん暗くなっていく切なさ!ひぃー

結局、通常40分だった道のりを、5時間弱かけてようやく家に戻りました。
真っ暗になった中、近所のほとんどの人が、車の中にいるのがわかりました。
寒い夜でした。

街中の電気が消えたこの夜、この場所で生まれて初めて見る星空に気づきました。
本当に、どこも電気が消えてしまったんだ (け 県庁は点いてました)、
明日になったら、明るい夜が来るのだろうか、という不安と、
ああこれが過ぎたら、もうこのきらきらした星空を見ることは二度とないだろうな、という堪らない愛おしさを感じていました。
ただ、寒すぎてそんなことどうでもよくなって、車内に入り、毛布に全力で入って眠りました。


家の被害については、細かいことを話せばキリがありませんが、
うちには、なんて量の食器が置いてあったの!!!ということを実感させられる一件でした。
台所中、膝の高さまで色んな破片で埋まっていたんですものww その時既に、3袋くらいは片付けた跡があったんですが… ・_・;

驚いたのは、家の窓という窓が、すべて揺れで開いてしまっていたことです。
カギさえも開けちゃう地震すごいです。
家具は、倒れるという意味で、ピアノ以外全滅でした。
ちょうどピアノのそばで母が揺れに耐えていたそうなので、本当に良かったです。他のどこにいても、怪我してましたし。
ただ、母はその日以来、揺れが来ると、食器を守りに(家の奥の…)食器棚の方に走るようになっていました。…え、何、なんなの?

家族とは、当日のうちにかろうじて連絡が取れたため、この後何日も連絡が取れなくても、大丈夫だと思って頑張ることができました。
東京で別々に暮らす父と兄は、その日は会社や他のところに泊まったそうです。
後日、はとこが走って津波に追いかけられてどうこうしたという噂を聞きましたが、詳しいことはわかりません。
父も兄も、こっちに来てくれるって言っていたけれど、交通網は復旧見込みなしだし、冷蔵庫も実質ない上に新たな食料確保できないでしょって強がって、母と2人、それはそれは多くの人たちに支えられながら、私たちもつつがなく、うん、つつがなく暮らすことができました。
とにかく、みんな無事でした。
友人も、みんな。
情報収集をしてくれた同級生に感謝かんげき


水が出るまでの数日。
その後、電気が来るまでの数日。
本当に、たった数日だったんですけど、長かったです。
ただ、電気が来て、テレビをつけたときに目に入ってくるであろう光景を想像すると、ずっと怖かったです。
ラジオでぼんやりと聞く情報が、あまりにも現実味がないものばかりでしたからね。

テレビから来る衝撃、そしてなかなか流れない茨城県の情報、
それを集めに行ったネットで見た、
地震直後にワンセグで何気なく見ていた一瞬の光景が、一体何だったのかを知ることになる、一つの悲しい場面、
誰もが始める幸せと不幸の相対評価、
あーもうよくわかりませんが、こんな光景を、当事者の方々や、停電等の被害を受けなかった地域の方々は、
リアルタイムで見てしまったんだと思うと、本当に胸が痛みます。
報道や行政に携わった多くの人たちも、自分たちが受け止めどう向き合えばいいのか、混乱や葛藤の連続だったでしょうね。
なんだか過去の出来事のような言い方をしてしまいましたが…。


ライフラインは、生きるために、誰もが重要視することですが、
あの日以来、私たちの中から消えてしまったのは、
美意識の欲求を満たすあらゆるものでした。

偶然にも前日、前々日にそれぞれガソリンを満タンにしていましたが、
本能的に母と察知した、ガソリンを極力使わないぞ(お店を始め行くところなんてどこもないので、ラジオやエアコンを付けるという意味ですね)という暗黙の了解を無視して、
我慢できずに車で聞いた1枚のCD。
そこから音楽が流れ出した瞬間に走った電撃、何かの糸が緩む感覚。本当に忘れられません。
私たちの生活からは、音楽が完全に消えていたのでした。 ポポポポ~ン? え、何?

地震から間もないある晴れの日。
ちょっといろいろ大変な思いをしながらも、勇気ある決断でみんなを呼んで、結婚式を開いた友人。
その日のために東京に行って、久しぶりに壊れていない美しい街並みを見たときの、熱くなる感覚。
花壇に咲いた花を見たときの愛おしさ。
久しぶりに会う友人たちの、暖かい言葉。笑顔と希望に溢れた雰囲気。

上京している友人の、被災した故郷に戻っていくにつれて受けるショックを書き綴った日記を見たりしましたが、
東京までの道ではその逆バージョンのショックが、私の中に松岡修造でした。
少しだけ、私の中にいろいろな実感をくれる出来事たちでした。
正直、3月なんてなかった、と、
しばしばそういう気持ちになることもありますが、
かすかな希望も、みなさんからいただいたかけがえのない希望も、たくさんあったのです。


そうやって少しだけ落ち着いてくると、
不思議なんですけどね、時期にして2週間くらいでしょうか、少しの間だけ
毎日似た夢を見る期間がありました。

地震がきて、私は崩れる建物の高層にいてそこから一気に落ちる、それもあまりにリアルな感覚
でもどうにか着地して生きてるけど、今度はここを囲む森林で山火事が発生して、車で分かれ道を選択しながら逃げる夢や、
とりあえず地震がきて、なにかがいろいろ倒れてきて降ってきて、海に流される夢、
震災の夢ですね、これを、本当に毎日欠かさずに見ていたんですが、
あることをきっかけに、
4月7日に起きた、大きな余震をきっかけに、
ぱたりと見なくなりました。
不思議です。
ま、まあきっと、落ち着いたから見てたけど、また危機せまって(近く、ボランティアで震源の東北に行く人が身近にいたりもしたので)見るのをやめたんでしょうかね・_・*

最近は、そんなこんなをたまに見ることもありますが、
気持ちもだいぶ落ち着いてきていますし、
なんだか
はい、あの、
これを長々と書いてたら、だいぶすっきりしました!!!^-^

……。

あー、すっきりした。


ほんと
この話題については、きっとお互いに尽きることがないでしょうね。
地震の後に会う人たち、みんなそうです。
私個人の、そんなとりとめのない話にお付き合いくださって、ありがとうございました。
簡単に近況報告をさせていただくつもりが、
書き出したら一気にどーんでしたpq
こんな…こんな文をw



そうそう、
地震後に部屋を片付け始めたとき、ふと手に取った楽譜から、はらりと落ちたものがありました。
それは、最初に載せた写真の、四葉のクローバーです。
今からちょうど1年くらい前に気が向いて摘んだものを、はさんであったのでした。

色々なものが成り立たなかった当時、
こんなにも素朴なものが、心の支えになっていました。
こんなに単純に幸せになれるって、すごいです。と思いました。

人と人とはちゃんと支えあえること、電気や物を大切にすること、
なんか日本って人気があったこと、粉バナナ、
悪いことがたくさんあった中で、少しでも、得たものを大事にしていきたいですよね。
まだいろんなことがありますが、私たちは私たちの器の中で、前に進むためにできることがあるものなんですよね。
また何かが殺伐としてきたら、なんか、この素朴な気持ちを思いだそっ、と思いました。
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